たいせつなものと、自分だけの地図の話。 | 今日のコト、明日のモト。

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きらきらのまいにちを重ねて、明日を創る。
 今日よりちょっとだけいい、明日の為に☆

えーー、お久しぶりです。生きてます(笑)


久しぶりの更新なのに申し訳ないのですが、この記事はちょっと重めの更新になります。
うーん。楽しい更新がモットーなのですが、今回は自己満で申し訳ないっ。
軽めの更新もするので、そこでワタシという人間を思い出してくださいませ。
忘れないでなー。みんな、また飲もうねー。

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4年目になり、「中堅」と呼ばれる経験を積み、
自分の進みたい方向も色々選べるようになってきた。

今の時点での理解を、いまのうちに記しておこうと思う。

いままで。
小学校→大学までは、進むべき道筋がうっすらと、だいたいは見えていた。
迷った時も、何らかの基準を基にして、
(例えば「より役に立つ方」「より単位が取りやすい方」などなど…)で、
ある程度 自分で納得の行く結論を、自分で導き出すことが出来た。

だけど。
22歳になって、就職して、いざ目の前を見てみたら、
今までうっすらと見えていた道筋はどこにもなく、
広がっているのはただ、真っ白に広がり続ける「可能性」だけだった。

何処へ行くにも自由だし、
どんな道を選び取るのも自由。
ただし、道を選ぶ為の基準は人それぞれ。

誰とも、共通のモノサシはない。
誰とも、共通の判断基準はない。

…最近、ひさしぶりに会う人々と、たくさんの話をする機会があった。
そこで、「幸せ」の求め方や、幸せの基準がどんどん、
そのひと独自のものになっていっていることに気付いた。

もっと考え深いのは、みんな、自分の求める「幸せ」像について、
第三者に判断を委ねる瞬間があるということだった。
例えば「自分の話を聞いてもらって、同意を求める」
「一緒に同じ方向に行こうと勧める」など、など…。

あぁ、自分は、早く自分なりのコンパスと地図を作らなければいけないのだなぁ。
人の幸せは飽くまでも「ひとのしあわせ」であって、私の幸せではないのだから。

自分の地図さえしっかり持っていれば、人の人生の歩み方に対しての
「心配」も「妬み」も「焦り」さえも、きっと不要に違いない。

自分のコンパスにつけられた「幸せ」と「後悔」の目盛りを、
自分の基準でしっかり刻み付けることが出来れば、
私はきっと、このコンパスの針の向く方向を信じていけるのだろう。


後悔しないための選択って何だろう?
自分なりに考えて考えて考えて、やっと導き出したつもりの決断に、
思いもよらないところから待ったが掛かったり、
心配して止めてくれる人や、再考を促してくれる人がいる。

それは、とても幸せなことだと思う。

いま、私は25歳。
いまの私にとっての【後悔しない選択】は、
「考え抜いた挙句、自分で決めた決断」だと思う。

いまの私にとっての【幸せ】は、
「自分の価値基準に沿って、たいせつなものを大切にすること」だと思う。


…自分のコンパスの東西南北は定まっている。



次は自分の歩む道を、地図から選び取る時期に来ている。